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2010年9月21日火曜日

尖閣諸島と中国との関係:甘えたガキはろくな大人になりません

ここ最近ブログの更新を怠って申し訳ありませんでした。私はいま、普段、ゴルフスクールに通いながらゴルフを何とかうまくできるようになろうとしているのと、それと同時に会社を設立しようとしております。ゴルフスクールは週に2~3回通っています。でもここ数日ビジネスのほうで忙しくしておりましたので、更新が遅れてしまいました。

ここ数日の話題と言えば中国、97日に中国の漁師さんが尖閣諸島付近の日本海域で日本の海上自衛隊の船にぶつかったことによって日中関係が悪化していることしょうか。

日中関係が悪化することは誰にとっても、特に日本にとってディメリットな話ではあるのですが、だからと言って日本がさじを加えて「あぁそうですかと」と言うべくでもないと思っています。駄々っ子が買い物に行く度に「おかぁさんこれ買って!」と言って毎回買っていたらきりがないのと一緒で、どうしょうもない大人になってしまう前に、どこかで怒ってけじめをつける必要があると思います。

日本は明治維新以降、世界の大国の一つとなり、近代歴史では少なくともアジアで1番の国家にもっとも長くいることは間違いないのです。そういう中で、この2~3年でやっと大きな国となった中国と喧嘩をしてもしょうがないのです。私にも8歳年下の弟がいますが、ケンカなど一度もしたことありません。お母さんや年上の兄と一緒で、大らかな気持ちで接して、時には厳しく接する、そう言った対応が必要だと思います。

中国の立場としてもこの様な強硬な姿勢をとることに対してはある程度理解しています。そうせざるを得ないと言うのが本音でしょう。と言うのも、前にもブログで記載しましたが中国と言う国は大変不安定です、民族問題、地政学的な不利、インフレ、富の偏り、共産国家など、一歩間違えると共産党は一瞬でなくなっちゃう可能性だってあると思います。

民族問題:ウィキペディアによると中国には55の少数民族があるそうです。中でも有名なのが、チベット、ウィグル、満州族でしょうか。多数派の漢民族を代わりになろうとする民族はいくらでもいるのです。

地政学的な不利:George Friedmanが書いた「100年予想」という本があるのですが、この中で、常に中国で栄えるのは上海、天津、北京などの海側の都市であり、内陸部は常に貧しいく、内乱はいつも内陸で起こり全土に広がった、とする。また、中国の国土は強豪国に囲まれている、北のロシア、東の日本、南のインド、西の山脈、いわゆる八方ふさがりである、としている。



インフレと富の偏り:経済問題が大きな内政問題を引き起こすきっかけとなる可能性が高いです。最近の中国はインフレ率が高く、所得の上昇率よりインフレ率のほうが高いのです。また、富の偏りはすさまじいものがあります。内陸部は貧しいですし、教育レベルも低く、情報量も少ないので、中央政府にとってまだ統治しやすいです。しかし、都会の人々は教育レベルの高い人も多く、情報量も多いので、格差が生まれて不満が高まってきて、中央政府としては統治しにくい状況にあります。

共産党:そして最後の問題と言えば共産党です。何でもそうですが、うまくいっている時は誰も文句を言いません。でも悪い思いをする人が増えてくるとだんだん立場が追いやられてきます。中国も例外ではありません。いつまでも右肩上がりとは行きません。中国は民主主義を経験したことがないのです。共産党が万が一なくなったとしたらそれはさぞかし痛いことになると思います。

こういう状況の中で、どこの政府もそうですが共産国家に多く、今回中国がやっているのが愛国心を高める戦略です。数年に一度やっていることなのですが、大都市で不満がたまり始めると、日本をやり玉に挙げて愛国心に火をつけるのです。その火によって出る煙で国民の目をくらましているのです。それが今回の尖閣諸島に対する抗議です。

さて、尖閣諸島ですが要するにタダの岩です。1885年に日本が正式に尖閣諸島を日本の領土と主張しました。まぁ、ただの岩なので、価値など誰も深く考えていなかったのです。そして沖縄の琉球諸島としての位置づけで統治されました。

例えばこのウィキペディアに掲載されている地図1969年に中国政府が作成したこの地図には尖閣群島と記載されています。中国の呼び名の魚釣島群島とは記載されていないのです。


敗戦後、日本はアメリカに降伏して、その時沖縄・琉球諸島はアメリカの統治下におかれました、ご存じのとおりです。ということは、沖縄の一部とされた尖閣諸島もアメリカの統治下になったわけです。そして、1972年に沖縄は日本に返還されました。それと同時に尖閣諸島も日本に返還されたのです。日米安保条約ではアメリカに対日防衛義務があり、それには尖閣諸島も含まれます。

そして時が進んで、1990年後半になりタダの岩がだんだん化けてきたのです。よく見て見ると近くには天然資源がいっぱい海の底に眠っていることがわかったのです。「あれ?」ってことに中国もなり、ちょうどそのころから中国も経済が発展し、海軍も強くなってきたので、「取り戻すか?」となったのです。そのころ日本も弱っていましたし、小泉純一郎が総理だったので、ちょうどタイミングが合っていたと考えられます。

いま中国としてみると一石二鳥の大チャンスなのです、資源も取れるし、国家主義・愛国心を高めて共産党に対する不満を取り除ける大チャンス。どうせ日本は弱っているのだから抵抗してこないだろうと、抵抗してきたとしても2~3回脅しでもすれば、すぐすり寄ってくるだろうと思われているのだと思います。

でも日本はここで、お母さんや8歳年上の兄のようになって、強く叱ってあげないといけないのです。甘えたガキはろくな大人になりませんから。

New York Times尖閣諸島について
Washington Post日中関係
Time Magazine二重を見る

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