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2010年8月25日水曜日

成熟した日本?それともスワージランドに抜かれる日本?

早稲田大学の加藤典洋教授の投稿記事が英文に訳され、ニューヨークタイムズに掲載されていました。原文の日本語の記事を探してみたのですが今のところ発見に至っていません。

タイトルは日本語で「古くから肩をすくめることができる日本」と訳すと近いかと思います。先日、日本が中国に追い抜かれGDP世界第3位になったことで日本の「肩に荷がおりた」ことによる現状ついて語っている内容となっています。

具体的には、1910年から1977年までずっと1%の伸び率で人口が右肩上がりだったのが2005年に初めて縮小を始めることで右肩下がりになり、お米の生産量も1878年から1960年までずっと右肩上がりだったのが1960年代を境に下がり始め1980年には中国に追いつかれた話をしています。

また、バブル以降に生まれた子供たちは、当然バブルを知らないわけで、彼らはクリスマス・イヴに高級ホテルに宿泊したり、車に乗ったり、酒を飲んだりしなく、消費意識が少なく、それよりマクドナルドでコーヒーを飲んだり、吉野家で牛丼を食べたりする、と。

さらに、彼らは日本が小さな国であり、小さくていいのであるとしている。右肩上がりの時代は過ぎ、日本は世界で2位とか5位とか15位とかこだわる必要がなく、それより環境や日本人より運のない人のことを考えるのも重要ではないかとしている。

これも日本が成熟してきた表れではないか、と。

周りは成熟し、考えが変わってきているにも関わらず、石原新太郎のような保守的な考えをもつものは中国より下になったことが許せずにいる、としている。

このよう内容である。

この記事のように経済成長が右肩上がりでなくなった理由としては人口の減少と、もう一つが「戦う目標」が無くなったことが要因だと私は思います。戦後はみんな終戦直後のあんなひもじい思いは嫌だから頑張って裕福になろう、と家族、会社、国が一丸となって戦ったわけだが、だんだん戦が長引くにつれてその「闘志」が薄れて行った感じがします。

この記事に賛成するのが、環境や日本人より運のない人のことを考えるなどほかにも大事なことがあるという考えを持つことです。先頭を走っている人は後ろ向きで走らないので、後ろの状況や気持ちがわからないわけです。一回止まって周りを見渡すと、忘れてきたものを発見するかもしれません。

しかしながら、私は2位とか5位とか15位でいいとか言うより1位になるべきだと思っています、少なくとも、なりたいという気持ちを持つべきだと思います。15位でよしとすると、50位でもよし、100位でもよし、じゃ、どれぐらいだったらプライドが許せなくなるのか。プライドなんて捨てたというのなら、GDP何位の生活だったら我慢できるのか?。GPD150位あたりのスワージランド、スリナム、モーリタニアみたいに聞いたこともない国になってもいいの?ってなると思います。

負け犬根性ではないですが、子供のころにいたかもしれませんが、競争をしていて抜かれた直後に力を抜いてだらだら走ったり、足を怪我したとか言ったり、レース後1位の子に「いやー怪我しちゃって、それがなければ勝てたのになぁ~、えへへ」となるのは、いやです。

そのうちスワージランドにGDPが抜かれ順位が入れ替わったら、スワージランドの人に世界第3GDPとして戦うより、自分たちより運のない日本人のことを考えるなど、ほかにも大事なことがある、というようなことを言われる日が来るかもしれません。

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